彩色ダイアリー

海釣りとマイレコメンの雑記帖

釣り好き主人のつりの話や・・・、
こんなのありました・・・、
マイフェイバリットな色々を綴った日記です。

興味のある方も無い方もチョットのぞき見大歓迎!
心に花を・・・幸せ気分で毎日を!(^◇^)

聖徳太子の徒然



つい最近までは、聖徳太子を拝みたくて誰だって頑張っていた・・・?今は福沢諭吉。


聖徳太子もイエスキリストも馬小屋で産まれた偉人。


厩戸王子はもしかしたら干支が午年だった・・・?聖徳太子は蘇我馬子が伯父さんで、篤く三法を敬えと憲法を制定した今でいう政治家だった。


以来、仏事は当時の都の各地に広がって、仏閣も建立されて仏教が根付いた。


大化の改新後も奈良の都には多くの仏閣が築かれて、仏教の勢いは都に線香の匂いを充満させたからなのか、それを煙たく感じたのか、桓武天皇は引っ越しを決意。


この時、引っ越し場所を決めるのに占朴から派生したと言われている風水を基にして京へ・・・?


占朴は大陸の殷(商)という国が大昔に編み出した神々との交信手段の一つ。もう一つは甲骨文字。甲骨文字はいずれ統一・変化して漢字と呼ばれる様になった。


文字は商人が神々との交信のために編み出した手立ての一つだった。聖徳太子はこの文字のお陰で、隋の煬帝と文通して国交を始めた。隋が滅んだ後も唐ともそれは続いた。


桓武天皇は天皇だから神事のトップ、聖徳太子がいなかったらこんなにお寺も建立はされていなかった・・・?
なら聖徳太子は仏事の始祖。


そしてこの頃から、日本は二本柱・・・。その後も、関西・関東、山陰・山陽、幕府・朝廷、神社・仏閣、横綱も東西、等々・・・。


他の国なら一神教で、国を統一するのは王朝一つ。


聖徳太子の当時の日本はトップは天皇だったけれど、政治は蘇我氏。


春秋戦国時代、孔子は魯国の姻戚の三桓家の権力を削いで、魯公に中央集権化しようとして敗北して、論語を弟子たちが編纂して名を成した。


聖徳太子は、和を以て貴しとなすとして、この国の基を遺して、万札になってなおさら国民に知らぬものはいない存在に・・・。


お札が流通しているうちは、紙幣の人物に興味を覚えてどの国の国民も歴史を知り、その偉人の名も覚える・・・。


聖徳太子は万札と5千円札両方で活躍していた頃もありました。