彩色ダイアリー

海釣りとマイレコメンの雑記帖

釣り好き主人のつりの話や・・・、
こんなのありました・・・、
マイフェイバリットな色々を綴った日記です。

興味のある方も無い方もチョットのぞき見大歓迎!
心に花を・・・幸せ気分で毎日を!(^◇^)

量子 数学 歴史



この度、日本のスーパーコンピュータがまたまた最速の演算能力を樹立したとのニュースがありました。



それまでは、米国と中国の独壇場だったのが、久しぶりに日本が日の目を見たそうです。



コンピュータの進歩は、もはや世界の経済や科学、軍事技術の根幹の一つを為す要因として、重要な意味を持つ技術になりました。



このスーパーコンピュータが量子で作動する様になれば、今まで以上の演算能力が実現化されて、素数を材料にした暗号は瞬く間に解読されてしまうそうです。



今のコンピュータでは、長い時間をかけて検索しないと暗号は解読できなかったのが、瞬く間に解読してしまうそうです。



では何で、量子にはそれが出来るのか?



それは量子のもつれと重ね合わせが可能だから、演算も早くなるという事です。



重ね合わせる事が出来れば、並列での計算が同時に可能で、量子のもつれを確実に操作できる様になれば、光速を超える速さで情報を転送できるという原理で、量子コンピュータは、今までのコンピュータを古典化してしまうという事です。




計算が早いという事は、暗号の解読も早くなる。



膨大な情報を処理できる。



圧倒的な速さが実現すると、世界はどうなるのでしょう。



スタートレックの転送が実現すれば、旅行中という移動時間がなくなります。



引っ越しも秒単位で終了。



建設や土木工事も驚くような速さで、竣工を迎える。



地球の自転や公転は今まで通りで、人々の情報処理や生産性の時短化だけが、以前よりも早くなる。





量子論とは、単純にイメージすれば、その様なSFを思い浮かべてしまいますが実際には、線形代数を理解していないと、その本質を理解するのはなかなか難しいのだそうです。



その昔、江戸の和算学者、関孝和は既に線形代数の行列式の理論を把握していたそうです。



当時はアラビア数字ではなかっただろうから、その表現方法はどうしていたのでしょう・・・?



素朴な疑問は子どもの頃から未だ解消されていません。



変数や係数の識別とか、色々な数学でのお約束事は、当時では今とは全く違った方法で、彼らは和算という学問を発達させたのでしょう。



彼らは微分の発想も心得ていたとも言われています。






今なお、日本の数学的センスは世界的にもトップクラスなのでそうです。



数字や数式は物理や化学の文法の様なモノなので、先ずは数学ありきなところもある様な気もします。



客観的な証明や数値化が出来てこそ科学という面も、無きにしも非ずだとも思います。



明快な解、真理、共通認識の出来る回答を約束してくれているのが、数字の学問という発想です。



ニュートンもアインシュタインも数学的な文法を使用せずには、万有引力も相対論も表現できなかったでしょう。



量子力学は、科学の幹の様な数学にも新たな問題を投げかけているのでしょうか・・・?



理数系のそんなお話は、こんな事を考えて行くと、不思議な世界を感じさせてくれます。

入梅 散歩 タコ

今日は梅雨の晴れ間。



近くの公園へ珍しく散歩へ・・・。



道中、ひまわりの花がうだる暑さの中咲いていました。




水路に水が張られていました。



以前は田んぼらしい敷地にここから水が流れて湿地が設えられていました。



その水路で親子連れのお二人が、野外活動中。 お忙しい中、声をかけさせていただきますと、可愛らしいドジョウやオタマジャクシが大量の模様。





昔を思い出す様な光景。 息子さんは水路に網を入れて、水中生物の観察に熱中。



近くの川から流れている水路から、ドジョウやオタマジャクシ、ザリガニが流れ込んでいる様です。







湿地にはまだ、カキツバタが咲き残っていました。



 シオカラトンボや麦わらも飛び交っていました。 都会の郊外にもまだまだ自然は残っている様です。






アジサイも青々と茂って、正しく梅雨真っ最中。



人影はそんなに多くはありませんでしたが、河川敷のグラウンドでは学生さんが、クラブ活動を始めていたようです。




本来ならこのような一日なら、船に乗ってタコでも釣りたいような一日でした。





船に乗って沖に出れば立派なタコがポコポコ釣れます。







仕掛けは、テンヤかタコエギで・・・。


テンヤ仕掛け



タコエギ仕掛け仕掛け








海底をゴソゴソ仕掛けを浮かさない様に引きずり、タコが乗るのを待ちます。 



たくさん釣れても、冷凍保存が効くので当分の間は美味しいタコにありつけるというワケです。 



自前で釣れたタコなら、生からタコ飯が作れるので、赤飯の様に鮮やかな美味しい、この季節ならではのレシピが味わえます。





お米と一緒にヌメリを綺麗に洗い流した生のタコをブツ切りにして少々のしょう油と匂い消しのショウガを添えて炊飯器で炊くだけ。





ゴマ塩と大葉・ショウガを千切りにして添えれば出来上がり。



タウリンタップリ夏バテ防止の自然の恵み。


ウメイロ 船釣り

海の沖へ、船に乗って魚釣り。








この時期から、南紀の沖ではウメイロが釣れます。




南方系の魚です。




アオダイの仲間。



波止や近郊で釣れるタカベに似て非なる魚。




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タカベは沿岸の表層で釣れる美味しい魚です。




一方ウメイロは沖の比較的中層、水深30mより深い処で、南紀では釣れます。




ウメイロは、タカベの様に群れを成して、釣れる時にはイッパイ釣れるという釣れ方ではなくて、たまたま仕掛けにたどり着いた獲物だけが運よく針掛かりしてくれるイメージの釣りになります。




その引きはタカベの様に軽快ではなくて、小ぶりな割には結構な引きを味合わせてくれます。




そんなに大きくはならないけれど、身に厚みがあるので刺身でも、味わえる調理しやすい獲物です。




3~4日程、熟成させるとこの魚の美味しさが堪能できます。




ウメイロは味わった事のないのなら、みそ汁の出汁にして味わってみて欲しい魚です。




みそ汁の出汁と言えば、カツオや削り節、ひと昔前なら、煮干しのイメージです。




このウメイロで出したみそ汁の出汁は、それ等とは全く違う、上品で濃厚、えも言われぬ味わい、絶品です。




魚好きなら、一口目でその美味しさには魅了されるでしょう。




南方系の比較的小ぶりな、しかも背中が鮮やかな熱帯魚風の魚なので、知らない人からすれば、食い気を誘う様な高級魚には見えない魚です。




でも実際は、漁獲量もそれほど多い魚でもなくて、市場でお目にかかる事もそうは多くはない魚で高級魚です。




モチロン養殖されているという話も聞いたことはありません。




この魚の最もおいしい食し方は、やはり自分で釣って、食すというのが最善の魚という事になります。




ウメイロ500×365.jpg




その身は刺身や、煮つけ、焼いても美味です。




頭部や骨は絶対に捨てないで、必ずみそ汁の出汁にしています。




それがのこの魚の最も顕著な美味しさを、実感できるレシピだと言えるからなのです。




この季節の魚料理は、例えばウナギなら肝吸い、アユなら塩焼き、キジハタの夏の鍋には臓物をきれいに洗って出汁にしたりして、魚の捨てる部分がほとんどないくらい、その美味しさが味わえる時期なのかもしれません。




夏に向かう頃の魚は、美味しそうなイメージが無いような気がしますが、実はそうでもないのです。




夏の釣りと言えば、軟体系のタコやイカも釣れだすので、釣りの季節としては結構楽しめる季節ではあります。




ウメイロの船釣りでは、仕掛けはテンビンカゴフカセ釣りで、電動リールを使用します。




ウメイロ以外にも色々な美味しい魚が、釣れます。




行きつけの船長はPE4号を勧めてくれます。




竿はムーチングで100号あたり。




オモリは60~70号で楽しめます。




仕掛けは、ハリス5号でイサキ針(シルバー)が良く釣れます。




(ウメイロ)フカセ釣り仕掛500×463.jpg

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海外ニュース 日本の印象



お隣の国の朝鮮日報日本語版で、平和な国ランキングのニュースが掲載されていました。



日本は、



・アイスランド



・ニュージーランド



・ポルトガル



・オーストリア



・デンマーク・カナダ



・シンガポール



・チェコ



に次いで9位なのだそうです。



平和イメージ533×408.png



世界各国での幸せの度合いでは、日本は54位。



世界各国の中で安全な都市は、東京が1位で、大阪が3位。



住みやすい国では日本は、10位なのだそうです。



何が基準でこうなったのかは不明なのですがこれらの記事にフト、目が止まりました。



昭和から平成、令和になってこの国の住みやすさや住みにくさも、この国を住処にしている皆様には、賛否両論ある事でしょう。



昭和の中頃までは高度経済成長で自然を犠牲にして、公害問題なども色々物議を醸しだしていましたが、今ではその様なニュースもめっきり減って、過疎化の里山等々の放ったらかしの自然で、山中の獣と人里の境界があいまいになってのニュースの方が、目に留まるようになりました。



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都市近郊では、既に観られなくなった鳥や昆虫などの生物は、公害の時代(昭和時代)の方が、まだまだ見受けられていた様な気がします。



令和の世になって、都市近郊のインフラがこれから益々進んで、もし自然との共生が出来る様になったら、小川の中のメダカの学校や、夕焼け小焼けの赤とんぼや、紫陽花にカタツムリとかアマガエルが都市近郊ででも伺える様にもなって来て、住みやすい国のランキングが少しでもアップするかもしれません。



遠い昔、鉄の文化が日本にもたらされて製鉄の技術が発達、お隣の大陸では鉄を製造するための燃料が枯渇して、逆に日本から輸入したという歴史のお勉強をした事を覚えています。


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日本ではいくら伐採しても製鉄できる木炭が採れる国だった。



他方、隣国の森林は、一度伐採したら再び復活させるには、もう不可能に近いくらいの自然破壊になってしまって、いくら鉄鉱石が産出されても、製鉄できる燃料が確保できず当時から既に、日本から鉄を輸入するようになってしまった。



殷(商)、秦の頃は中原の地にも森や林があって、象も住んでいたそうです。



黄砂も、今ほど酷くはなかった。



その土地に長い歴史の間で人口密度が集中してきて、喰えるものは何でも喰えないと生き延びる事も、難しかったのかもしれません。



多少の陶器を作れる環境はあったモノの、鉄器を産業革命が興るほど生産できなかったのが、かの大陸の自然が持っていた潜在能力だったのかもしれません。



この島国の場合、弥生時代に稲作文化を取り入れて、つまり農耕文化を取り入れて縄文時代には豊かな地方だった所が、米を中心にした文化に傾倒し過ぎた(?)あまり、豊かさを失った地方もありました。



当時の青森地方は、稲作には決して適さない地方だったので、縄文時代の漁撈や森林からの恵みを半ば放棄する様に、稲作にこだわり過ぎたのが原因で一時、そこで暮らしていた住民は餓死者すら、発生させてしまった時代がありました。



そのくだりのお話が、司馬遼太郎の街道を行くで紹介されていて、ショッキングだった事を覚えています。



この国では農耕文化をほぼ全面的に取り入れてしまったのですが、何もかもが上手く行っていたわけでもなかった様です。



一方神々の不在(?)、あるいは自然の潜在的エネルギーに比較的に乏しいのかもしれない(?)隣の大陸では、古来よりジェノサイドが起こったり、カニバリズムなどのおどろおどろしい哀しい歴史も残っています。



活火山と地震のこの島国と呼ばれている小さな地では、鮮明な四季もあって、稲作に依存しなくても1万年以上にわたって、平和裏な生活をしていた時代がありました。



そんなイメージを、ツイツイ偏差的(?)に想像してしまったりしてしまいます。



この島国では神々が不在の時期はほとんど無くて、自然の再生力は凄まじいくらいに活性する力が、今でもあります。



資源の少ない国などと言われたりしていますが、果たしてそうなのでしょうか・・・?


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鮮やかな季節が廻り、花鳥風月、清冽で豊かな自然の恵みは、放っておいても八百万(やおよろず)の神々が、この島国の住人たちに大いなる豊かさをもたらしてくれて、古来よりそんな神々に私たちは、畏敬の念をもって接して、活かされて来た感謝と喜びを表現して来ました。



狂信的ともいえる原理主義すら私たちの神々は、列島の住民たちに強要はしない。



そしてこの国の神々は今でも、自然の恵みを与え続けてくれています。



この国では私たちが、快適な自然を蘇らせる適切なインフラさへ進めて行けば、後は神々が恵みを与えてくれる、そんな結構生活しやすい、小さな島国なのかもしれません。



なので他の厳しそうな地に比べれば、この島国は優しい神々が、少なくとも他の地よりは、暮らしやすい環境を私たちに提供してくれている様に思ったりします。



感謝の念を忘れずにシッカリと環境インフラを整備して、後は勝手に自然の恵みを与えてくれるこのような場はこの地球上で、決して多くはないのかもしれません。



過酷な自然で生活を強要される住民の皆様にも、優しい人々もいれば、厳しい人々もいる。



そんな事を考えているとき、神々の不在な地での住民には、六道の中の修羅道より厳しいランキングが、当てはめられているのでしょうか(?)などと思ったりします。



このランキングニュースには、そんな哀しい事実も含まれているのかもしれません。

無意識と意識|活用方法




無意識とは普段、私たちから無視された意識。



気にも留めずに起こしている何気ない行動は、無意識のなせるワザ。



無意識をヒトは潜在意識とも言って、思考は現実化するとか引き寄せの思考と言って、無意識を意識する様になりました。



もうかなり昔から、マーフィー博士の成功法則で、潜在意識のお話は結構話題になっています。



ヒトは無意識のうちに得手・不得手や好き・嫌いを気付かぬうちに決めてしまって、日々の生活や行動に限定をかけてしまうそうです。



トラウマも、無意識のネガティブなパワーの一つ。



なので、無理矢理にでも意識して、勝手に限定してしまった、困った欠点を克服する事を、意識からの指示で無意識に逆に働いてもらって、成功を収めるという発想の延長線上に、思考の現実化や、引き寄せの法則のお話が生まれてそこから私たちに、成功の回答を送ってくれている様です。



事程左様に、無意識は負の方向にも、正の方向にも作用して得手・不得手、好き・嫌いを私たちに気付かぬうちに、強要している様です。



なので、意識を通して無意識を手なずければ、思考は現実化し、引き寄せる力も宿す事が、できるという発想です。



ここで、無意識は、意識下での嘘を見分ける事ができたり、逆に正邪の判断はしないと言った性格が、あるという事です。



そこで、意識を通して無意識に働きかけるには、チョットしたコツがあって、それが上手く行けば無意識のパワーを活用して、願望を叶えられるというワケです。



ではその方法とは、



毎日、意識下で自分は欲するものをゲットできる方向に向かって、日々行動していると現在進行形で意識し続ける事。



その毎日の意識には、未来の現実化した自分を想像して、その時の喜びや幸福感を感情にして、例えばニヤニヤしながらでも意識し続ける事。



それらの行為にネガティブな感情を、決して持たない事。



時にどうしても気乗りしない時の事を考えて、感情が喜びや希望に向かって指向できる、お気に入りのテーマソングや画像(ポスター・カタログ)、あるいは願望を忘れないように、時間のある時には紙にその願望を書くなどの工夫を凝らして、毎日忘れない様にそしてその行為に喜びとか幸福感という、ポジティブな感情を焼き付ける習慣を身に付ければ、無意識はそちらの方向に向かって、未来を誘導してくれるという事です。



願望を具現化するには、具体的な行動が必要になりますが、先ず第一に何をすべきか・・?と考える時、意識を通じて無意識に作用する上述の様な行動を習慣化させることが、何よりも近道だという事です。



具体的な行動にピンと来ないというのなら、先ずは無意識に意識を通して探させるという発想も有効な様です。



要は一時も忘れない様に意識し続けて、無意識に検索させるというイメージです。



無意識とは本来、無視できないくらいに絶大なパワーを持っているそうです。



しかも、無意識は正邪を区別しない。



嘘も通じない。



という事で上述の様な方法を駆使して、潜在意識を活用するという事です。



毎日の意識が、無意識に仕事をさせる事になっている。



その折には、感情もポジティブにして心底願っているし、成功するという強い心で生活するという事です。



ポジティブな行動は、周囲の人々にも好感度を印象付ける事にも繋がり、ラッキーもゲットできる様になるかもしれません。



なので今の自分はすべて、自分の責任から発生しているという所以なのかもしれません。



今の状況の自分に対する責任は、すべて自分が構築していたのですネ。



他人や環境には、今の自分の状況への関係はない、全て自分の作り上げた結果が今の自分だという事です。



つまりは、自力で本願出来れば、他力でも本願できる様になるのでしょう。